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東京地方裁判所 昭和59年(特わ)661号 判決 1984年7月26日

主文

被告人を懲役一年四月に処する。

未決勾留日数中六〇日を右刑に算入する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、決定の除外事由がないのに、昭和五九年二月初旬ころから同月一五日までの間、東京都内若しくはその周辺において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパン若干量を自己の身体に摂取し、もって覚せい剤を使用したものである。

(証拠の標目)《省略》

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、本件公訴事実につき被告人は無罪であると主張するので、以下においてその論拠とする諸点につき判断を示す。

一  被告人が警察において提出した尿と鑑定資料に供された尿との間の同一性の証明が不十分であるとの主張について

《証拠省略》を総合すると、以下の事実が認められる。

1  昭和五九年二月一五日、被告人は、交差点で信号無視をしたため、交通取締中の警察官に運転免許証及び外国人登録証の提示を求められたが、たまたま外国人登録証を携帯していなかったことから、その警察官に東京水上警察署(以下単に水上署という。)まで任意同行を求められた。水上署で被告人の前科照会をなしたところ、覚せい剤取締法違反の前科のあることが判明したため、覚せい剤事犯の担当係であった地曳栄水上署防犯捜査係長が被告人から事情を聴取することになった。

2  地曳係長は被告人に対し現在も覚せい剤を使用していないかなどと質問したりした後、同日午後六時ころ尿の任意提出を求めたところ、被告人は、これを快諾し、地曳係長から渡された新品のポリ容器を自ら水道水で洗い、それに水上署一階男子便所で放尿して地曳係長に渡した。

3  右尿入りポリ容器を渡された地曳係長は、そのポリ容器に蓋(ねじ式二重蓋)をした後、それをもって被告人とともに水上署一階警ら係の部屋へ行き、同室で、封印をする紙片に被告人の氏名を記入させ、その紙片で右ポリ容器に被告人自身をして封印をさせ、更にその封印とポリ容器に被告人の左手人差指で割印させたうえ、ポリ容器にマジックペンで被告人の氏名を書かせた。そして、地曳係長も、自らの氏名、警察署名、採尿年月日・時間を右ポリ容器にマジックペンで記入した。

4  その後、地曳係長は、右ポリ容器を水上署三階海港係(地曳係長の所属する係)の部屋の同係長の使用していたロッカー上に一晩保管し、翌日警視庁科学捜査研究所(以下単に科捜研という。)へ小沢巡査をして鑑定嘱託書とともに鑑定資料として持参させた。

5  鑑定嘱託を受けた科捜研では、青山喬主事をして、右ポリ容器中の尿に覚せい剤が含有しているか否かにつき鑑定させたところ、後述のとおりその尿中から覚せい剤が検出された。

6  なお、科捜研では、鑑定嘱託書とともに送付を受けたポリ容器については、封印等が破損していないかどうか等について検査したうえ、もし異常があればその鑑定を受託しない扱いとなっている。

以上の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

右各事実によれば、被告人が水上署で任意提出した尿と科捜研に鑑定資料として送付され、現実に鑑定資料として使用された尿とは同一のものであることが明らかであり、この点について疑問をさしはさむ余地はない。

二  被告人の尿が示した覚せい剤反応は、当時被告人が食していたキムチの影響による可能性があるとの主張について

《証拠省略》を総合すると以下の事実が認められる。

1  科捜研における尿中の覚せい剤の有無に関する鑑定方法は、以下のとおりである。すなわち、

イ 鑑定資料として送付を受けた尿の全量をアルカリ性にしたうえセルロース製のチューブ(透析膜の袋)に入れ、それをアルコールが八割、クロロホルム二割の溶媒に一晩浸す。右チューブには数一〇オングストロームというごく小さい穴が開いているので、病原菌、蛋白質などの分子量の大きいものは通過できず、覚せい剤とか尿素とかの分子量の小さい物質がその穴を通過して右溶媒中に出てくる。そこで、その溶媒中のクロロホルム層を(溶媒は一晩おくことによって右の穴から出てきた水によってアルコール層とクロロホルム層に分離する。)取り出して煮つめる。=透析膜法

ロ 右のようにして抽出した物を、ガラス板の上にシリカゲル層を塗布した薄層板の下端から二~三センチメートルの場所に塗りつけ、それを展開溶媒(クロロホルム、メタノール、アンモニアが一九対一対一という混合比のもの)に浸す。と同時に、標準の覚せい剤を塗りつけた別の薄層板も右展開溶媒に浸す。そして、右の標準の覚せい剤を塗った薄層板について、覚せい剤がどの位置まで浸み上がっていくかを見た後、抽出物を塗った薄層板について抽出物がその位置まで浸み上っているかどうかを比較検討し、ほぼ同じ位置まで浸み上っていると認められた場合には、その位置にヨードガスを噴霧する。もし覚せい剤が付着していれば噴霧した場所が薄茶色に発色する。=薄層クロマトグラフィー

ハ 次に、右ロの方法で発色した部位をかき取り、それをホルマリン硫酸試液(マルキス試薬)及びシモン試薬の中に入れる。覚せい剤が含まれている場合には、ホルマリン硫酸試液中ではれんが色に、シモン試薬中では青藍色にそれぞれ発色する。=呈色試験

ニ 右ハの試験に陽性の反応を示した場合、最後に、右ロの方法で発色した残りの部位をかき取り、それを用いてガスクロマトグラフィー質量分析計にかけ、その結果標準の覚せい剤と同一の位置に同様のピークが得られるか否かを見る。=ガスクロマトグラフ質量分析法

ホ なお、覚せい剤の量が多いと判断される場合には、右ロ、ハの検査法とあわせて赤外吸引スペクトルを用いた検査を行うこともある。

ヘ 右ロ、ハ、ニの各検査の全てに陽性の反応を示す物質は、これまで地球上で発見された物質では覚せい剤以外にないので、右各検査に陽性を示した場合に、尿中から覚せい剤が検出されたとの判断をなし、その旨の鑑定書を作成する。

以上が科捜研における鑑定方法である。

2  本件の場合も、科捜研で本件尿の鑑定にあたった青山喬は、水上署から送付を受けた被告人の尿につき右イの方法を実施し、それによって得られた抽出物につき右ロ、ハの検査をなしたところ、いずれも陽性の反応したので、更に、右ニの検査をなしたところ標準の覚せい剤と同様のピークが得られたので、被告人の尿中には覚せい剤が含有されているとの判断をし、その旨の鑑定書を作成した。

3  ところで、右ロ、ハの各検査において、抽出物中にどの程度覚せい剤が含まれていれば陽性反応を示すかというと、いずれの検査方法でも最低五ないし一〇マイクログラムの覚せい剤が含まれていることが必要であって、それより少ない量では明確に陽性反応を示すことはない。また、右ニの方法では、ガスクロマトグラフィー質量分析計の性能によって異るが、性能の良いものでは数ナノグラムの量でも覚せい剤が存在すれば陽性反応を示すものがある。しかし、本件鑑定当時科捜研で用いていたガスクロマトグラフィー質量分析計はそれほど性能の良いものではないうえ、本件の鑑定にあたっては慎重を期すため、抽出物を約一〇倍の溶媒に溶かし、その一〇分一ないし五分の一を右分析計に注入し、その結果、標準の一マイクログラムの覚せい剤を含む注入液によって得られたピークと同一の位置にそれと同様かそれ以上の高さのピークが得られた場合のみ覚せい剤が検出されたものと判断をするという鑑定方法を用いていた。

4  弁護人が指摘する石山東京大学教授の実験では、ある種のキムチを大量に食した後、その人の尿をガスクロマイグラフィー質量分析にかけたところ、その尿中から覚せい剤が検出されたとのことであるが、その検出された量は尿一〇〇ミリリットル当りにして〇・二ないし〇・三マイクログラムという微量であるとのことであるから、仮にそのようなことが事実であるとしても、右の程度の微量では、科捜研の実施している右の各検査方法(ロ、ハ、ニ)のいずれについても陽性反応を示すおそれはない(前述のとおりロ、ハの各検査のいずれにも陽性反応を示すには最低でも合計一〇マイクログラムの量が必要であり、ニの検査の場合も最低一マイクログラムの量が必要である。)。

右に認定したところによれば、被告人の尿から検出された覚せい剤が、被告人の当時食していたキムチによるものであるとの可能性はないというべきである。

三  以上の次第で弁護人の右各主張はいずれも採用できない。

(累犯前科)

一  事実

昭和五三年五月二六日浦和地方裁判所宣告、覚せい剤取締法違反罪、懲役二年、昭和五五年二月五日刑の執行終了

二  証拠《省略》

(法令の適用)

罰条

覚せい剤取締法四一条の二第一項三号、一九条

再犯加重

刑法五六条一項、五七条

未決勾留日数の算入

刑法二一条

訴訟費用の負担

刑事訴訟法一八一条一項本文

(求刑懲役一年一〇月)

(裁判官 三上英昭)

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